ちょうしフラット通信

人とものとが交差する場所を目指す!『C’s marina』宮内沙織さん

2019年3月19日

2018年12月末にプレオープンした、『C’s marina Kitchen&cafe(シーズマリーナ キッチンアンドカフェ)』。

千葉科学大学に隣接しているため、大学生のためのおしゃれカフェ?と思うかもしれませんが、実はそれだけではないんです!

銚子の新たな交流スペースとしても期待が高まるC’s marinaのディレクター・宮内沙織さんに、生い立ちやC’s marinaオープンに至る経緯を伺いました。

宮内沙織さん(37)
銚子生まれ銚子育ち
匝瑳高校(現 匝瑳市八日市場)卒業後、栄養士を目指して神奈川の短大へ進学。
卒業後は栄養士として病院に勤務した後、旅行会社やNPOの事務局に勤めるなど、さまざまな職を経験。
ワーキングホリデーを利用してカナダを訪れたり、お遍路に行ったり、異色の経歴も持つ。
2018年8月に銚子ビールの佐久間快枝さんと『銚子チアーズ株式会社』を立ち上げ、現在は千葉科学大学マリーナキャンパスに隣接する『C’s marina Kitchen&cafe』のディレクターを務めている。

「当時は銚子が好きじゃなかった」市外の高校に進学した過去

「当時は銚子のことが好きじゃなかったんです」

C’s marinaオープン以前から、『NPOちょうしがよくなるくらぶ』(主に、地域商社のような立場で、商品開発や地元との連携を図ったり、着地型観光の開発をしたりしている)などで銚子のために精力的に活動しているイメージがあった宮内さんの口から「銚子が好きではない」という言葉が出たことに驚きました。

聞くと、市内でも犬吠埼などとは反対側の、西部にある6中学区出身の宮内さん。

「生徒数が少ないからすごく密度が濃いんです。そこから出たい、違う世界を見たい、という気持ちもあって、みんなが銚子の高校に進学する中、一人匝瑳高校(銚子市の2つお隣、匝瑳市にある)に進学しました」と振り返ります。

人生のベースになっている『栄養士』としての宮内さん

実家が農家だった宮内さんの食事は、おじいちゃんおばあちゃんが作ってくれることが多かったそうです。

しかし、おじいちゃんおばあちゃんは「忙しいから自分たちのご飯はおざなり。ご飯に味噌汁かけるだけとか(笑)」という状況。

「恩返しのつもりで、栄養士になろうと思った」
「栄養バランスも良い美味しい料理で長生きしてほしい」
と神奈川の大学に進学したものの、宮内さんが大学1年生の時におじいちゃんが亡くなってしまいます。

「なんのために栄養士に!ってなったんです。そこから逃亡というか、私の人生が面白いことになるんですけどね」

このあと、海外生活やさまざまな職を経験する宮内さんですが、お話を伺うと、その根底には栄養士としての宮内さんがベースにあると感じることが。

カナダ生活、栄養士、お遍路、旅行会社…。今の宮内さんをつくったさまざまな経験

「栄養士になりたいのと同じくらい英語が喋りたいって思いがあって。在学中にお金を100万円貯めて、卒業後にワーキングホリデーで1年間カナダに行きました」
「でも、最初に乗った飛行機で『What would you like to drink?』って聞かれて、『オレンジジュースプリーズ!』って言ったらコーラが出てきたっていう(笑)違うとも言えないので『サンキュー』って。そこで洗礼を受けました」

日本での英会話勉強経験は通用せず、現地の語学学校では日本人ばかり。「これはだめだ」と思い、ファームステイを申し込むことに。

「ダチョウの牧場に行ってお母さん役をやるんです。ダチョウって最初に見たものをお母さんだと思うから。茶色の服を着て、走ったり餌を食べたりするところを見せて、一緒に練習して」

そんな珍しい体験をしながらネイティブのファーマーと生活し、英語力も身についた宮内さんは、トロントの保育園で栄養士として勤務を開始。

トロントの保育園の子供たちと(一番右が宮内さん)

さらに、3ヶ月間中南米にバックパッカーの旅に出かけることになり、バンクーバーからバスだけを使って南米の一番先まで行ったこともあったと言います。

途中でスペイン語を習いながらの旅でしたが、「言葉じゃなくて気持ちと身振り手振りなんだと思って。その3ヶ月があったから今の自分があると思います」と宮内さん。

帰国してからは栄養士として3年半鹿島労災病院の給食受託業者に勤務しますが、
「ひたすらグラム管理と栄養管理。これで良いんだっけ?と思いましたね」
「患者さんに『どんなものが食べたいですか?』と聞いても、目も合わせずに退院したいと言われるんです」
と、考えさせられる毎日だったそう。

栄養士時代の仲間たちと(後列左から三番目が宮内さん)

「病院という場所ではどんなに美味しいものを提供しても響かない」ことを、これでもかというほど思い知った宮内さんは、退職して26歳の時にお遍路に出かけます。

「仕事をリストラされた人、就活しても仕事が見つからない若者、社長だったけど、大病して社長を続けられない、子供も交通事故で亡くなってしまった。そんな、いろんな人生を生きてきた人たちに出会って、自分の悩みなんて大したことないなって思えたんです」
「それまでは肩書きをすごく気にしてたんですけど、お遍路をしていると、肩書き関係なく友達になれる。その人がどんな人で、どんな思いを持っているかが大事。人間付き合いってそんなもんだなって思えました。だから、お遍路の経験も今の私を作ってくれましたね」

それでも、そのあと何をしたいか見つけることはできなかった宮内さんに、送り出しも出迎えもしてくれた尼さんは「お遍路を歩いたからには、旅行とかをお客さんに伝えてみたら?添乗員とか向いてるわよ」と言いました。そこで、銚子のハローワークに行ったところ、ちょうど未経験可の旅行会社の求人があり、面接を経て就職が決まりました。

しかしあるとき母方のおじいちゃんが脳梗塞で倒れ、介護のために7年間勤めた旅行会社を退職。その後おじいちゃんが亡くなった時、宮内さんはまた千葉に行くか、銚子に戻るかの岐路に立たされます。

「どんな仕事があるかわからないけど、銚子で仕事を探してみようと帰ってきました。
ここで千葉に行ったら、自分はもう銚子に戻ってこないなと思っていたので、おじいちゃんが呼んでくれたのかもと思います」と宮内さん。

その前に失業保険をもらいに行ったハローワークで、宮内さんの人生はまた大きく変化を遂げます。

雇用創造協議会をきっかけに銚子との関わりが強まる

「ハローワークで雇用創造協議会(地域の資源を活用して職を生み出し、雇用を創出する取り組みを行う組織)主催のセミナーのチラシをもらいました。食に興味があったので行ってみると、すごく面白くて。それがきっかけで2年間雇用創造協議会で活動しました。健康に特化した着地型旅行商品の開発や、地元の資源を生かした商品開発、求職者さんへの各種セミナー、事業者さんへの人材育成セミナーなど、さまざまなセミナーを実施するなど、多岐にわたり市内の方と密に関係を築きました。」

「銚子の人の中には、『あれもやったこれもやった、でも銚子はもうダメだから』って言う人が多かったです。だから『私も一緒にやります』って、事業者さんとの信頼関係作りを大事にしました」

サブマネージャーになった宮内さんは「銚子が嫌いだったなんて、遠い昔のことのようになりました」と、2年間で銚子への思いも大きく変わっていきました。

その後、高齢者のための認知症予防の教室の先生として働くのと並行して、雇用創造協議会の受け皿的に立ち上がった『NPOちょうしがよくなるくらぶ』の事務局という肩書きで、食堂の雇われ店長のような存在に。

実は宮内さんにはいつか自分で商売をやりたいという夢があり、やりたいことを考えるうちに「食堂をやりたい」という結論に至りました。

「実家が農家なので、地産地消の野菜が食べれるお店(をやりたい)。銚子って意外と野菜を食べられるお店が少ないし、観光客用の食堂はあるけど、アットホームなところがあったらいいなって。お母ちゃんの味みたいな料理を出して、みんなが『ただいま』って帰ってくる。そういう食堂を(やりたい)」

2018年5月にNPOちょうしがよくなるくらぶを退職。8月に銚子ビールを立ち上げた佐久間快枝さんと共に『銚子チアーズ株式会社』を立ち上げ、12月末にC’s marinaをプレオープンしました。

後編では、C’s marinaのコンセプトや目指すことを話していただいています。

3月26日17時公開予定。お楽しみに!

(聞き手・地下玲菜/文・江戸しおり)

C’s marina
銚子市潮見町15-8
0479-21-3986