ちょうしフラット通信

日本で唯一の手作りゴム風船工場は銚子にあった!未経験から風船職人になった伊藤貴明さんに会ってきました

2018年10月17日

前回(日本で唯一の手作りゴム風船工場が銚子に!職人の技を体験してきました)は、銚子にある日本で唯一の手作りゴム風船工場での体験の様子を紹介しました。

現在、マルサ斉藤ゴム 銚子工場の運営を切り盛りする伊藤貴明さんは、3年前に県外から銚子に移住し、全く別の業界から風船職人としてのキャリアをスタートさせた異色の経歴の持ち主。
今回は伊藤さんに、経歴や、銚子移住、マルサ斉藤ゴムに入社した経緯、銚子への思いなどをたっぷりお話していただきました。

伊藤貴明さん(36)
埼玉県加須市出身車のデザインやエンジンの品質管理など、自動車業界での仕事を経て株式会社マルサ斉藤ゴムに入社。
2015年に銚子に移住し、風船職人としてマルサ斉藤ゴム銚子工場を支えている。

異業種から風船職人への転身

ーーまずは、伊藤さんの経歴を教えてください。
埼玉県加須市生まれで、高校まで地元で過ごしました。手を動かして物を作ることはもともと好きで、車やバイクにも興味がありました。
それで、車の設計や研究開発をやりたいと思い、高校卒業後は、千葉県大栄町にある自動車整備などを学ぶ専門学校に4年間通いました。

ーー最初は自動車業界を目指していたんですね。就職はどちらに?
車のデザイン決める際に必要な、実寸大模型を作る仕事をしていました。デザイン設計されたものを形にする仕事ですね。モーターショーに出す車も手がけていました。
その会社には3年勤めて、そのあと、日産で車のサスペンションの設計を2年ほどしていました。
ただ、設計の仕事は英語ができないとどうしようもないんです。何しろ図面が英語なので。それで、英語を学ぶために青年海外協力隊として2年間フィリピンにいました。

ーー英語を学ぶのに青年海外協力隊!? 伊藤さんらしい、ちょっと珍しい選択ですね。
そうですね(笑)
学生の時に青年海外協力隊に行っていた先生がいて、その記憶がなんとなくあったので…。

ーーフィリピンはご自身の希望で?
3カ国くらい希望を出せるので、フィジー、ドミニカ共和国、フィリピンを希望して、第三希望のフィリピンに決まりました。
向こうでは、主にストリートチルドレン対象の職業訓練校で車の整備や設計を教えていました。

ーー生活は大変ではなかったですか?
お湯が出ない、水が出ない、みたいな不便はたくさんあったんですけど、そういう部分は意外と気にならなかったですね。
それよりも、こんなにいい加減でいいのかなって、お国柄や考え方の違いに戸惑うことのほうが多かったです。最初の方はずっとイライラしていたし。
でも、そこは割り切って穏やかに過ごそうと思うようにして…。

ーーなんでも細かくきちんとやる日本に比べると、海外はおおらかな国が多いですよね。
むしろ、日本の方が特殊なのかも、と思うようになりましたね。それまでは日本の価値観しか知らなかったので、フィリピンでの生活のおかげで日本という国を客観視できたのは良かったと思います。
フィリピンでの経験がなかったら、風船もここまで続かなかっただろうな、と思うことも多いですし。

ーーフィリピンでの経験が今の生活にも影響しているんですね。帰国後はどうしていたんですか?
外資系の会社で仕事をした後、都内でディーゼルエンジンの品質管理の仕事をしていました。
会社は好きだったし、ずっと続けようと思っていたんですが、1人で横浜に住んで電車に乗って仕事に行くという生活があまり好きではありませんでした。
そんな時に地域おこし協力隊に興味を持ち、実際にやっている人に会いに行ったりして、ちょっとずつ田舎暮らしの方向に向かっていました。
そして、ある時「日本仕事百貨」を知り、面白くて頻繁に見るようになったんです。

ーー「日本仕事百貨」とは?
簡単にいえば求人サイトなんですけど、職人とか地域に根ざした働き方とか、普通の求人サイトには載っていない仕事情報やコラムが掲載されているんです。
そこでマルサ斉藤ゴム(昔からこの地でご商売をされていた「伊藤ゴム風船」を、マルサ斉藤ゴムが事業継承することが決まっており、後継者を探していた)の求人を見て、「これだ!」と思いました。ピンときたのはこの仕事ただ一つでしたね。

ーー運命の出会いですね。「もともと風船を作りたい!」みたいな興味はあったんですか?
車中心に金属系の仕事に携わってたけど、風船の作り方って知らないな、見てみたいなと思ったんです。
それですぐに応募して、書類審査と面接で採用になりました。
2015年7月に株式会社マルサ斉藤ゴムに入社し、銚子の住まいを探しながら仕事をして、2015年11月に銚子に移住してこの工場での見習い期間が始まりました。

風船職人の葛藤と独り立ち

ーー見習い期間はどのくらいの間、どんな毎日を送っていたんですか?
2017年の9月に1人で仕事を任されたので、2年近く見習い期間がありました。最初の2年間は本当に大変でしたね。朝から夜まで立ちっぱなしで夏は暑いというのもあるんですけど、まず、考え方が全然違うんですよ。
職人の仕事なので、とにかく感覚でやることが多い。引き継ぐのにどれくらいかかるのか前先代に聞いてみると「うーん、5年くらいかかるんじゃないの」って。
普通の仕事でそんなに時間をかけて引き継ぐことなんてないじゃないですか。2年だってないですよ!でもそれも、ちょっとした感覚を鍛えるには時間がかかるということなんですよね。

ーー今はどうですか?
僕は3年やっていますが、ゴムが硬い柔らかいの感覚は身についてきているけど、できたあとに1g単位で調整するので、最初からそこにガシッと決めるのは難しいと感じています。なので、1回目は試し作りで、やりながら調整して…という感じ。
普通の会社でそこまでやっているところってないですからね。機械を使えばそんなことしなくても、誰でも同じようにできるのに。

ーー本当は機械化したいと思っている?
最も感覚が必要になってくるのが、ゴムの硬さです。数値化すれば誰でもできるはずなので、「数値化しませんか?」と聞いても先代は「そんなのやってらんないよ」みたいな。すごく職人気質な方なので。
ただ、数値化は品質管理の観点から必ず実施していかないといけないと思っています。測定器はありますが、ゴム液が測定レンジ外で使用できないのですが…。
また、ある程度の機械化は必要で、デザイン風船ではない一般的なものは機械でも良いと思っています。
日本で手作り風船を作っているのはここだけ、という価値もあるので大事にしていきたいですが、じゃあお客さんは何を求めているの?と考えると、これでいいのかなと思うこともあります。手作りは、機械で作るよりも値段が高いですしね。

ーー機械化して、いいものが安く手に入ればその方がいい、という人もいますもんね。でも、手作業のよさもありますよね。
ぶたちゃん風船のような形が複雑なものや、途中で色や高さを変えるようなものは、手作業でしか作れないんです。機械では途中で色を変えたり、浸ける回数を変えたりすることは容易ではないはずなので、そこは手作業ならではだと思います。


▲ぶたちゃん風船

▲魚の形をした型もありました。こんな特殊な形の風船を作れるのも手作業ならでは!?

ーーぶたちゃん風船、とっても可愛いですよね。今後、こんな風船を作りたいとか、風船でこんなことしたいという想いはありますか?
銚子にふうせんバレーを広めたいです。北九州発祥で、元々は障害のある方もできるスポーツとして20数年前に考えられたものなんです。全国ふうせんバレーボール大会というのもすでに30回近くやっている歴史あるものになっています。
実は、ふうせんバレーに使われている風船を作っているのがうちの工場。いろいろな風船を試してたどり着いたのが今の風船で、中にすずが入っているんです。
最近は、どうやったらふうせんバレーを銚子の人にもやってもらえるかなって考えていて、色々な人に話したりはしているんですけどね。


▲風船バレー用の型

ーー企業の研修などに利用してもらうのもいいかもしれませんね。
すでにやってくれているところもあるようですが、もっと一般化させたいですよね。

銚子のやんわりとした空気感がお気に入り

ーー移住する前から銚子のことは知っていましたか?
知っていましたよ!銚子電鉄が走っていることも、海があって、魚がうまいことも知っていました。
学生時代大栄町(現成田市)に住んでいたこともあって、なんとなくのイメージはあったので。ただ、銚子まで足を伸ばす機会はなく、3年前、移住するときに初めて来ました。

ーー初めての土地への移住に不安はありませんでしたか?
最初は知り合いもいなかったので、1人でいてもどうしようもないなという気持ちはありましたが、不安とはまた違う感情だったかな。
いきなりフィリピンに住むことに比べたらずっといいですしね(笑)仕事も生活も、フィリピンでの苦労があったからこうやって続けていられるんだと思っています。

ーーフィリピンでの経験が伊藤さんに大きな影響を与えているんですね。実際に銚子で生活してみて、イメージが変わったりしましたか?
最初は活動的な人も若い人もあまりいないのかなって思っていました。最近は新しいカフェやゲストハウスが目立つ田舎が多いですけど、銚子には何もないなって。だから、ここで風船屋さんやっていくのってどうなんだろうと思っていました。
でもだんだんと、銚子電鉄のお化け屋敷電車みたいな取り組みを知ったり、知り合いが増えて、いろいろな活動をしている人がいることを知ったり、面白い、自分も負けないようにしなきゃ!と思うようになりました。

ーー中に入ってみるといろいろな方がいることがわかりますよね。では、今は銚子での生活を楽しんでいるんですね。
そうですね。仕事以外でも飲み会に呼んでもらえる機会が増えたし、楽しんでいます。好きな飲食店も場所もたくさんありますしね。

ーー銚子のどんな場所が好きですか?
銚子マリーナの夕日も犬吠埼灯台と朝日の組み合わせもいいですし、銚電も好きですね。飲食店は好きなお店がたくさんあります(笑)
やっぱり、銚子のやんわりとした空気感がいいですよね。少し適当な感じというか、肩肘張らなくていい感じがするし、東京とは全然違ってすごく好きです。
そういう雰囲気が好きな人には、銚子はいいところだと思います。移住を検討している人にも積極的に紹介していきたいですね。


▲犬吠埼灯台と朝日

ーー移住者の先輩として、いろいろな活動もなさっているんですよね。
実は今年の冬に「新銚子人」という移住者コミュニティを発足しました。
移住PR活動をしたり、お試し移住の方(お試し住宅利用者)との交流をしたりしていこうとしています。
自分が移住したとき、最初は「銚子のコミュニティにどんどん入っていかないと」といろんな集まりに顔を出していました。
結局、移住するときに気になることってその土地にどんな人がいるかだと思うんです。そして、移住して住み続けられるかどうかも近くにいる人によるところが大きいと思うので、新しい移住者が来たときには温かく迎えて仲間になれればと思っています。

未経験ながら、日本で唯一の手作りゴム風船工場を背負う立場に身を置き、さらに移住の経験を生かして、移住者のサポート、ひいては銚子の活性化のために、日々さまざまな取り組みを行っている伊藤さん。
体験をしに工場に遊びに行くもよし、新銚子人に問い合わせてみるもよし。銚子に興味がある、移住に興味があるという方は、まずは伊藤さんに会いに行ってみては?

(聞き手・佐野明子/文・江戸しおり)

マルサ斉藤ゴム
銚子工場千葉県銚子市君ヶ浜8741