「もう二度と銚子には来ない」から始まった銚子愛。DMO設立準備に奮闘する佐野明子さんに迫る(2)
2018年9月14日
ちょうしフラット通信がもうじきリリース半年という節目を迎えるにあたって、ライターの江戸しおりが、ちょうしフラット通信の拠点とも言える、銚子市役所内の「一般社団法人 銚子市観光協会 DMO準備室」を訪ねました。
ちょうしフラット通信立ち上げの背景にあるDMOについて、現在取り組んでいることについて話してもらった第1話(「もう二度と銚子には来ない」から始まった銚子愛。DMO設立準備に奮闘する佐野明子さんに迫る(1) )に続き、第2話ではDMOが抱える課題と佐野さんの経歴、ちょうしフラット通信の今後についてお話を伺いました。
公益性と収益化。相反する2つを同時に実現するために
ーー観光協会のような公共性の高い組織が利益を追求することには困難もあると思います。どんなことが大変ですか?
DMOは、地域全体が観光で稼げることを目指すための調整役なので、観光協会と同様、公益性の高い活動も必須です。
しかし、一方で自走するために利益を追求しなければいけない。稼ぐことに専念するとなると、公益的な部分がどうしても疎かになってしまいがちで、DMOの仕組み自体に無理を感じることもあります。
実際、国内でDMOで成功しているところはまだほとんどないと言われているので、自走が難しいことを痛感しています。
また、稼ぐためには人が必要で、そのためには稼がないといけないという現実にも直面しています。今、DMO準備室は2人体制で人手が全く足りず、、市役所の観光商工課にも手伝ってもらっているという状況なので…。
ーー確かに、調整役としての立場と利益を追求する姿勢は相反するものですよね。それでも佐野さんを見ていると、すごく前向きに取り組んでいる印象がありますが。
まずは、どうやったら銚子に来たお客さんに喜んでもらえるのかをひたすら考えようと思っているんです。その先に利益につながることがあると思うので。
「もう二度と銚子には来ない」最悪の第一印象から銚子が好きになるまで
▲バーベキューでお客様をおもてなし。「こんな環境の中で楽しく仕事ができて最高です!」と佐野さん
ーー佐野さんのお話を聞いていると、銚子が好きな気持ちがひしひしと伝わってきます。どんなところが好きですか?
都心からそこまで離れているわけではないけれど、自然があって環境が良くて、空間が気持ちいいな、って思います。たまにはいろいろあって銚子が嫌になることもありますが(笑)
ーー…佐野さんって、銚子出身ですか?
出身は横浜なんです。大学卒業後は横浜で仕事をしていて、一時期語学留学でカナダにいたこともあります。
その後結婚、出産を経て、「田舎に行きたい」という気持ちになったんですよね。それで、10年前に九十九里町に引っ越してきたんです。
ーーそうだったんですね!てっきり銚子生まれ銚子育ちで、ずっと観光協会にいるものだと思っていました(笑)どうして九十九里だったんですか?
大学が静岡だったので、静岡あたりは候補に挙がっていましたが、千葉県は全く候補になかったんです。でも、たまたまとてもいい物件があって、九十九里に移住してきました。
ーーでは、移住してから観光協会に?
いえ、まだなんです(笑)
移住当初はある会社で秘書兼事務として働いていて、2010年にリクルートに転職し、九十九里、銚子、神栖、鹿島エリアのじゃらんの営業をすることになって、初めて銚子に繋がりができたんです。
ーーどうしてじゃらんの営業から観光協会に?
営業時代から銚子のことを盛り上げるために一緒に活動することが多かった銚子市観光プロデューサーの方から誘われたのがきっかけです。
東日本大震災の後、実際の被害は大したことがなかったのに風評被害を受け、大好きな銚子にお客様が来なくなってしまったことをとても悲しく思っていたため、観光プロデューサーになれば、外部の人間としてでなく、もっと銚子の内部に入り込んで活動ができると思い、転職を決めたんです。
業務は2011年10月から始まり、銚子市役所内にデスクを置いて着地型観光の体験プログラムを作ったりしていました。その後、事業自体の終了などによって所属や肩書きが変わりながらも観光協会の仕事を続けてきました。
ーーもともと銚子の観光に携わりたいという思いがあったんですか?
実は移住した当初、ゴールデンウィークに銚子に遊びに来たことがあるんです。GWの銚子は、人は多いし、飲食店は行列だし、魚を買いたかったけどどこにいけばいいのかわからない。そんな状態でした。結局外川あたりをさまよって、魚も買えずに帰ったという苦い思い出があって…。あの時は、もう銚子には来ないなって思いました。
でもそれから、じゃらんの仕事で銚子に来るようになって、銚子のことが好きになったんです。
一見そっけないように思える銚子の人たちは、接してみるととても温かく、食事は美味しいし、風が気持ちよく、海がキラキラして、「ロマンチック」という言葉が似合う場所だなと思いました。
だから、私のように銚子を知らない人に、もっと銚子の良さを知ってほしい、どうしたらもっとお客さんがきてくれるんだろうと考えるようになりました。
銚子市観光プロデューサー時代は、釣り体験やサイクリングなど、さまざまな体験プログラムを作っていましたね。子宝祈願ができる菅原大神や銚子の環境の良さを活かした銚子妊活プロジェクトなんかもやっていました。
▲銚子に関わる活動ならなんでも精力的にこなす佐野さん!
銚子のぬれ煎餅メーカーである柏屋、銚子電鉄、銚子市観光協会のメンバーで結成された「nuresen bays(ぬれせんべいず)」にも参加。画像は日本一早い初日の出の街・銚子で行われた銚子電鉄「初日の出ライブ」で演奏する様子。
ちょうしフラット通信で市内の業者が潤うのが理想
ーー佐野さんの銚子への思いやDMOとしての理想を実現するために、ちょうしフラット通信が大きな役割を担っていることがわかりました。最後に、ちょうしフラット通信への思いを教えてください。
DMO準備室立ち上げ当初から、情報発信をしていくことは決めていました。
銚子ではさまざまな立場の方が精力的に活動し、それぞれが情報を発信しているので、まとめサイトじゃないけれど、情報の整理と発信ができるものが必要だと考え、ちょうしフラット通信を作りました。
大事にしたのは、銚子に関わってる人にメンバーになってもらうこと。それで、ライターは銚子出身の江戸さんにお願いしました。
▲ちょうしフラット通信編集部のメンバー
ーーちょうしフラット通信が目指すものとは?
読み物として面白いのはもちろんのこと、銚子のことを知りたかったらここを見ればいいという存在にしたいです。
また、イベントや宣伝したいことがあるときに、載せてほしいと言われるくらい存在感が大きくなったら嬉しいですよね。ちょうしフラット通信に掲載されれば、たくさんのお客さんに来てもらえると思ってもらえるような存在。
そして、ちょうしフラット通信が情報発信することで、収益につながるような流れにしたいです。最終的には市内の業者が潤うのが理想です。
ーー現状はどうですか?
もうすぐ半年を迎えますが、まだPV数が少ないので、まずは10万PVを目指したいと思います。
事あるごとに銚子は発信力がないと言われるんですが、それってお金をかけていないからじゃない?とも思うんです。
DMOでしっかり収益を得て、情報発信にもお金をかけられるようにしたいです。
ーーこれからちょうしフラット通信をどのようにしていきたいですか?
とにかく、ちょうしフラット通信をいろんな人に読んでもらえるメディアにしたいと思っています。銚子のファンクラブみたいなものを作る構想もあり、それをフラット通信を通してできたらいいな、フラット通信を銚子の応援もできる場にできたらいいな、と思っているので、いろいろな事にチャレンジしていきたいです。
もっと面白くなって、たくさんの人に読んでもらえるものになっていく予定なので、注目していてほしいです。
ーー最後に、銚子への思いや、佐野さん自身の今後について教えてください。
銚子にもうちょっと活気や元気があればいいなと思うこともありますが、基本的には今の銚子が続いてほしいと思っています。
いい人がいっぱいいて、空間が気持ちよくて…。そういう銚子の良さって、宣伝してわかってもらえるものではなく、来てみないとわからないことなので、難しいけど、上手に伝えられるようにしたいです。
今はこれが精一杯だし、先のことはわかりません。でも、ずっと銚子とは関わっていくつもりなので、これからも挑戦あるのみだと思っています。
(聞き手・文/江戸しおり)